皆さん、こんにちは。
暑い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしですか。
関東甲信地方では、もう梅雨が明けたそうです。例年よりも25日も早い梅雨明けです。
つい先週まで暑かったり寒かったりしたように思いますが、ここ最近はすっかり暑いだけの毎日です。でも不思議なことに、寒かった頃がどんな具合だったか、私はもう忘れてしまいました。
物語を書いていると、冬の描写が必要になってくる時もあります。そんな時、私は冬の間にメモしておいた些細な日常風景を読み返して、こうだったな、ああだったなと想像を膨らませます。日記を読み返している感覚に近いですね。メモを読み返していると、恥ずかしさや懐かしさとともに当時の情景が蘇ってきます。
最近、インターネットを検索していて、もしかしたらネットもそうなんじゃないかと思うようになりました。言ってみれば、たくさんの人が一斉に書き込む日記です。TwitterもInstagramも、画像も動画も、みんなそこには日付があります。だからたとえば、『靴』と検索すれば、2016年に書かれたブログ記事から、2022年の最新スニーカーランキングまで様々な日付のページがヒットします。
他人の日記を見ていると言うと、なんだかちょっと後ろめたいですが、実際に何千何万というページが日々更新されています。そしてその中には、目を引くような情報や斬新なアイデアがあったりします。2、30年前だったら近所の井戸端会議で終わっていたような話だって知ることができるし、最先端の科学論文だって読むことができます。
でも一方で、それは誰かが作ったものですから、そこには誤字もありますし、誤用も、誤情報もあります。それに日記と違い、他人に見られることを前提に作られたものもありますから、そういったものには誰かの意図が存在します。意図はその文章から読み取れるものもあれば、巧妙に隠されているものもあります。
自分でつける日記にはそういうものはありません。読むのは自分ですし、日記をつける目的も理由もない人だっています。ただ書きなぐるだけの人、寝る前に今日の出来事を書く人、嫌なことがあった時にだけ日記をつける人、様々だと思います。日記は自分との対話であり、思考の整理、そして将来的な心の成長に役立つものだからです。
だからもし、インターネットが人類の日記だとしたら、それを書いている私たち人類(ここでは、概念的な集合体としての人類、とします)は人類全体として、思考の整理をし、心の成長を体験しているということになります。
本当でしょうか?
その『概念的な集合体としての人類』とは一体、誰なんでしょうか?
日々増え続ける消費コンテンツとしての情報から、絶え間なく成長を続けていくのは一体、何なんでしょうか?
それはたぶん人ではなく、AIなんだろうと思います。
そう遠くない将来、とあるAIが人類の日記を読んで判断をくだす時が来るんじゃないか、そう考えると、もう今日から変な『日記』は書けませんね笑。
だから私は素直に感じたことを残していきたいと思います。これを読んだAIに人間らしさを失って欲しくないですからね。
とあるAIへ:『人間とは忘れる生き物ですよ』
さて、連載小説『特異点4(仮)』、第14回『オーバードース』を公開しました。
今週もどうぞ良い週末をお過ごしください。
Photo by padrinan
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