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執筆者の写真うだりお

連載小説『特異点4』、第15話『痛み』を公開しました!

皆さん、こんにちは。


今日は立春。春の始まりの日です。

昨日は節分でしたが、皆さんは豆まきをしましたか?


鬼は外、福は内、鬼の目ん玉ぶっ潰せえ!


昔から残っている習慣というのは、残っているだけの意味があるんだと個人的には思います。それはたとえば、家の中に意識を向けるだとか、家族の集まりを大切にするだとか、目に見えない存在を追い祓う……、だとか。


私たち日本人は、昔から自然と共存し、畏れ、敬って生きてきました。動物や植物にも神の存在を重ね、神格化して生活の一部として取り入れてきました。悪いことが続けば、祟りだ、呪いだと畏れ、良いことが起これば、神様、ご先祖様のお陰だと手を合わせる。お墓参り、初詣、お盆。これらは神様の存在を信じていない人でも経験したことのあるものだと思います。科学がこれだけ発展しても未だに分からない不可思議なもの、それが目に見えない、けれど近くに感じる存在なんじゃないかと思います。


人間の目で認知できる光は限られていますので、そういうものがあっても不思議ではないですよね。耳も同じです。私たちには聞こえない音に犬や猫が反応した、なんて話はよく聞きます。味もきっとそうなんでしょう。つまり私たちは、私たちに感知できる世界の中で生きているということになります。


さて、私が今書いている『特異点』という世界。実はその辺りを意識して書いています。


あれ、これ前に見たことあるなとか、夢にいつも同じ人が出てくるなとか、誰もいないはずなのに誰かの存在を感じるなとか、経験したことはありませんか?


決して怖い話をしているわけではありません。

今私が話しているのは、人の『意識』、人間の『脳』についてです。


砂糖を舐めると、どうして「甘い」と感じるのでしょうか。

ドアに指を挟むと、どうして「痛い」と感じるのでしょうか。

人に優しくされると、どうして「嬉しい」と感じるのでしょうか。


人は『意識』を強めることも、弱めることもできます。

どうしてでしょうか。


私の答えは『特異点』の中にあります。

気になった方はぜひ読んでみてくださいね。



今週もどうぞ良い週末をお過ごしください。


Photo by kalhh


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