皆さん、こんにちは。
5月になりました。
緊急事態宣言から約1カ月が経ちますが、皆さん、お変わりありませんか?
例年ならば、ゴールデンウィークの真っただ中ですが、今年は家の中という人も多いのではないでしょうか。
テレビを見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり。最近では、有名人の方々が自宅で簡単にできる体操なんかも紹介していますね。今はそうやって、普段やらないことをやりながら、家族や大切な人、そして自分自身と向き合ういい機会なのかもしれません。
皆さんは『ルビンの壺』を知っていますか?
黒い背景に白い壺が描かれた有名なだまし絵ですが、見方によっては、二人が向かい合った顔に見えたり、壺に見えたりするあれです。これを考えた心理学者エドガー・ルビンは、『白地を壺として認識すると、黒地の向き合う顔は見えない。逆に、黒地を顔として認識すると、白地の壺は見えない』と言っています。つまり、同じ一つの絵でも、壺と顔は同時に認識できないというわけです。
私は、私たちの日常もこれと同じだと思っています。
同じ一つの日常でも、見えている部分と見えていない部分がある。
たとえば私は、今まで、自分は甘いもの好きではないと思っていました。
でも、あると食べちゃうチョコレート、ないと寂しい生クリーム……。
今回の外出自粛期間を通して、自分が甘いもの好きだと認識しました!
これは私にとって大発見です。なぜかと言うと、私の『甘いもの好き』のイメージが、『毎日甘いものばかり食べている人』だったことに気が付いたからです。なんならそこに、ちょっぴり嫌なイメージも持っていたわけです。でも世の中には『毎日食べるわけではないけれど、甘いものは好き』という人もいます。そしてこっちの定義を『甘いもの好き』として使っている人もいます。
言葉って難しいですね。
同じ単語を使っていても、同じイメージを共有していないと、話が通じないことがある。
そこにその人のコンプレックスや、その単語を覚えた幼少期の経験や感情が加わると、言葉って実は、人の数だけ意味が存在するんじゃないかとさえ思えてきます。
そのために辞書がある、と言う人がいるかもしれません。
確かにそうですね。
では、辞書に書かれている意味を白地の壺とすると、その背景にある黒地の意味は何でしょう?
白地の壺と黒地の顔は同時に見えません。
この機会に、壺と顔、どちらが見えているのか、家族と話し合ってみるのも面白いかもしれませんね。
さて、連載小説『特異点2(仮)』、第5回『難民キャンプ』を公開しました。
https://www.riouda.net/nanmincamp
お時間のある時にどうぞ。
Photo by MichaelGaida #連載小説 #特異点仮 #SYVID69
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