私が小説を書く理由
私は文章を書くのが下手である。
苦手意識があるし、そもそもあまり好きではない。今だって、こうして文章に起こすのに、どれほどの間、この硬い椅子の上に座っているのか、想像したくもない。尻が痛くて何度も姿勢を変えては文字を打ち込み、文章を読んではまた貧乏ゆすりを繰り返す。じっと画面を見つめ、書いては消し、書いては消し。しまいには何が言いたいのかすら分からなくなり、段落丸ごと消去、なんてざらだ。一日が終わって、ああ、今日は3行書けた、なんて喜んでいると、翌日にはその3行が気に入らない。またシーンの想像から始まり、周りの景色、音、匂い、感じたことを一から綴るのだ。時間はいくらあっても足りないし、集中力はどんどんと擦り切れていく。終わりの見えない精神的、体力的な闘い。私にとって、小説を書くとはそういうことだ。
ではなぜ、その苦手な小説を書き続けるのか。
それは、一言で言うと、親になったからだ。
生まれてくる我が子を前に、ある日突然、子や孫、そして未来に生きる子どもたちが安心して暮らせる社会になって欲しい、そう思ったからで、すごく突発的で、とても個人的な理由だ。
私は今の日本社会に満足していない。素晴らしいところもあるが、残念なところも多々あると思っている。
ベビーカーを押す母親が電車内で煙たがられたり、子どもの泣き声が騒音だと苦情があったり。街にはマナー違反を注意する標語が溢れ、会社は顧客からのクレームに過剰に反応する。学校では虐めにより自殺を決意する生徒が後を絶たず、社会では鬱により本来の力を発揮できずにいる人が年々増え続ける。残業しても賃金は支払われず、成果を上げても職級は上がらない。頑張っても無駄、真面目は損、いつしかそんな考え方が頭に定着した人々は、卑屈になり、悲観し、互いに足を引っ張り合う……。もちろん、そうでない人も沢山知っている。しかしながら、私にとって、今の日本は少々窮屈で、生き苦しいと言わざるを得ない。
政治家になれば社会を変えられるだろうか。
技術者になれば社会を変えられるだろうか。
それとも芸能人、あるいは芸術家になれば――。
社会を変えるのは容易ではない。それでも、誰か一人の気持ちを変えることならできるかもしれない。
周囲に対してあと少しだけ寛容な社会、個人の在り方が尊重され、各々が自信を持って行動できる社会、そして頑張っている人が報われる社会。20年後、30年後には、そういう社会に近づいていることを、切に願う。
2014年9月、うだりお